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少年期のいじめの境遇から一念発起~

挫ける心を叱咤してー1-厚木の広沢寺を起点に

【ブログのバージョン変更で改訂版です】

心身鍛錬の総仕上げ

まさるは、杣道らしい藪の切れ目を両手で押し広げながら、進む。 山も標高が低いと、クマザサが勢いがよく密生して、中々捗らない。 3月半ばで、木の芽は膨らんだが葉が茂らないないので、雑木林は明るい。 杣道と思ったのは、山で薪や木材を切り出す杣人はいないだろうが、何となく山の中腹を横断するように、幅4~50センチの筋がついているようだ。

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広沢寺温泉はロッククライミングの岩場として愛好者には有名らしい

出発は、祖父の知り合いの広沢寺にアクセスし、一軒しかない温泉旅館に宿をとり、夜のうちにおにぎりの弁当を作ってもらった。今朝の朝食分(背負っている弁当)を含めて清算しておいたので、5時前に起きて薄暗い山道を歩いている。(この詳細は途中で記載します) 特別、山好きでも無かったが、小学校に入学前に住んでいた家からいつも眺めて育った大山に懐かしく、憧れと言うか惹かれるものがあった。大きな計画の一つの区切りとして、丹沢山系を選んだ。 

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奇想な計画

まさるは、自分に課した特訓の最終仕上げの積りで、神奈川の最高峰を縦走する計画をした。 何日かかるかは分からないが、街中で無為なときを過ごすこともいいが、まさるは自然の中に身を置いて、自分の体力の可能性を試すことも大事なテーマだ。 高校も無事卒業、一応進む大学も決まったので、この時期がベストだと決めた。 体も復調し、中学時代の顔色の悪いひょろひょろの青ヒョウタンから想像が出来ない体つきになった。 密かに始めた合氣道と空手のお蔭で、心身が充実し特に今は「心」も充実している。

山好きではないが用意周到

今回の山行には、特に装備は持たないが、小型のナイフとライターだけ用意、ウエアーもシューズも米軍の海兵隊用を立川の専門店で購入、防水機能も高く今の季節なら、着の身着のままで仮眠も取れる。 小さめのザックに、大きめのサーモスとチョコやキャラメルなどと携行食を、スマホタブレットは乾電池で充電できるセットを用意した。ウエブで検索すると、各登山ルートには山小屋が整備され、飲食も容易だが一般の登山ルートは目立ちすぎるので、人目につかないルートを設定した。

スマホタブレットが必需品

ルートのチェックはタブレットを使い、ヤッケの下に吊り下げザックには入れないで、迷ったらすぐ開いて確認しながら、ポイントではスマホで画像に残している。厚木の奥の広沢寺温泉から大山の裏を抜けて、県境の山北町と山梨の道志村にまたがる菰釣山(コモツルシヤマ)までほぼ一直線のルート設定だ。 登山者が少ないルートは、登山道を使うが目的が違うので、連峰を縦断ルートではなく、山の中腹を横断するわけで、全くルートが無いのが8割以上だ。

【広沢寺入り口】

普通の登山家なら、

「なんでそんな馬鹿なことをやるんだ!」みたいな怒声が飛んできそうだが~

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信頼できる人たちの心遣いに詫びながら

この計画は、家族にも友人(親しい友は居ないが~)にも知らせず、母親に1週間くらい国内旅行に出かけると話して資金を調達した。周りも両親もまさるが高校にキチンと登校し、上位の成績なので安心している。福岡時代の暗い闇から抜けつつあると思い、極力刺激しない対応をしているようで、まさるとしては申し訳ない気持ちだ。まさるは意外と冷静に生きてきた。家ではほとんど会話をせず、質問がないので答えないみたいな空虚な世界だが、ある時が来たら全てを話してこの不幸な時間を詫びるつもりだ。

祖父と姉には明かした

唯一、都内のマンションから通学している姉と東京の祖父には、これまでも何度かメールで会話して、自分の心身の限界を見つめるため、神奈川の高山を縦走することをメールで伝えた。 2人からは励ましのコメントが送信されたが、特別心配もせずまさるがしっかり立ち直り、信頼されて居ることが心強い。高校に進む直前に、祖父に聞いた何気ない昔話がきっかけで、博多の悪夢から解き放たれた。 3年前祖父の訪問が無ければ、今も鬱々した日々を空しく生きていたのだろうかと、思うと身震いするくらいだ。 高校では通常の教科以外に、合気道と空手を知人には知らせず、離れた町で学んだ。

合気道と空手をミックス

合氣道と空手は相反する部分が多いが、いずれの師匠にも内容は伝えず、合気道だけは祖父の知り合いの道場に入門した。 祖父は、空手も習っている事を知らない。 引きこもりだったまさるは、表面的には分からないが心身共に逞しい武闘家になっていた。 福岡や中学時代のまさるを知っている人は、すれ違っても気付かづないだろう。まさるはある計画に執心し、日頃の行動は目立たないように大会や試合には一切出場しない。 高校では、静かな生徒の印象で、その断り方は、
「まだ人の前に出るのが怖いので御免なさい」と、頭を下げて逃げる。

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博多の苦い体験

小学校は西国の博多(福岡)の中心街で、それなりに有名な小学校らしかった。 父親の転勤が突然の引っ越しとなり、幼稚園の入園直前に横浜を離れた。まさるには負担だったかもしれない。 大人の世界に不信感みたいなモノを感じたようだ。6歳から13歳まで過ごした。

何の感慨もない、と言うか、

思い出したくない7年だ。

忘れてしまいたい7年だ。

関東に戻り4年だが、やっと生き返った気持ちになった